医療・福祉・教育を通して、より健やかな日本社会と豊かな未来の創造をめざす

 
「ハートフルビジネスとしての精神科専門医療の構築を目指して」

2008年師走を迎え、今、想うこと
〜激動のカメリア、そして怒涛の世界情勢の中の日本

 2008年12月1日。残すところ、この年も31日となった。今、この2008年という年を振り返ってみると実に様々なことがあった。これは視点を何処に置き、何にフォーカスするかによって見えてくるもの、論じるものは変わってくる。
まずは、最も身近なところに視点を置いて、この2008年をカメリアについて振り返ってみたい。カメリアにとってこの1年は実に激動の年であった様に思う。
 何はさておき、11月1日、横浜カメリアホスピタルを開院した。2006年6月4日、単身上京してから約2年半の月日を経ての新たな船出である。九州、長崎県に生まれ育ち、大学時代の6年間を福岡県久留米市で過ごした以外は全く長崎から出たことのなかった田舎者が38歳にして上京した。若い頃であれば、まだ、都会での生活を楽しむだけの余裕と好奇心もあったのかも知れないが、戸惑いばかりで、とても楽しむ余裕はなかった。しかし、東京で新たな出会いがあったことが何よりも救いであったし、それなくしてこの2008年の激動のカメリアはなかったであろう。色々な方々との出会いと理解、協力のおかげで横浜カメリアホスピタルの開院に漕ぎ着けることが出来た。
 2008年11月30日には大村共立病院副院長宮田雄吾を迎え、「思春期の子どもとの付き合い方」というテーマで「横浜カメリアホスピタル開院記念講演会」を開催することも出来た。会には横浜市内を中心に医療福祉関係者、教育関係者、報道関係者など様々な職種130名ほどの方々が参加して下さった。その中でも最も私にとって有難かったのは横浜市旭区、緑区の地元住民の方々が数多く足を運んで下さったことであり、沢山のエールを頂けた事だった。そして、「今後もこの様な講演会を企画して欲しい」といった有難い要望を頂いた。そして、2009年1月24日(土曜日)にはうつ病と自殺をテーマとした講演会を行うことをご案内させて頂いた。今のカメリアに出来るスタイルで、少しでも情報発信しつつ機動力のある新たな精神科病院の在るべき姿を創造していきたいと考えている。
 次にカメリアグループとして厚生労働省のモデル事業、研究事業に参加する機会を得られたことは極めて大きな収穫であり、チャンスでもあった。「子どもの心の診療拠点病院機構推進事業「平成20年度障害者保健福祉推進事業〜精神的困難を抱える思春期児童への早期からの啓発・相談・支援策の開発事業」「平成20年度こころの健康科学研究事業〜思春期精神病理の疫学と精神疾患の早期介入方策に関する研究」といずれも児童思春期精神科保健医療福祉に関するテーマである。今まで、長崎県大村市に於いて大村共立病院、大村椿の森学園での精神科臨床、そして児童福祉のフィールドで培ってきたことが、これらのモデル事業、研究事業に取り組む機会を得る背景にあったことは間違いない。コツコツと田舎でやり続けて来たことに対する一定の評価を頂いたと考えている。また、そのチャンスを与えて頂いた多くの方々に対する感謝の念は尽きない。必ずや国家的な施策として実効性のあるモデル事業としての成果をあげたいと強く思っている。
 全く視点を変えて世界の金融経済情勢という面では、かつて人類が経験したことのないスピードとスケールで一瞬にして全世界を大津波が飲み込み、怒涛の荒波の中に放り込まれた形だ。これから世界の実体経済がどの様な変遷をとるのか。また、2次的、3次的に世界平和にどの様な影響を及ぼすのか予断を許さない。小さくなった世界、狭くなった地球という惑星で私たちは生活していることを思い知らされた2008年だった。そして、日本国がその世界でどの様な行動と役割を果たすべきなのかを国民一人ひとりが真剣に考えなければならない。更には国内の山積した諸問題に対しても迅速かつ適切な政治的判断と施策が講じられなければならない。  
 2008年はオリンピックイヤーでもあった。あまりにも最近の話題が暗澹たる話題ばかりのせいか、この事実すら遠い話の様な気がするのは私だけであろうか。
私の中ではオリンピックの歓喜のドラマを記憶の遠くに追いやってしまったエピソードがあったからかも知れない。それは間違いなくこの4人の引退だった。2008年3月26日、桑田真澄引退。7月17日、野茂英雄引退。そして、10月1日、清原和博引退。彼らの引退があまりにも大きな虚脱感を私にもたらした。1968年生まれの野球小僧だった私にとって、彼らは同世代のスパースター達だった。そして、三者三様の強烈な個性と輝きを放つ憧れの存在でもあった。そのプレイスタイルや生きざま自体があまりにもドラマティックな存在であった。そして、遂には10月7日には王貞治監督がユニホームを脱ぎ、球界の現場から身を引くことを決断された。正直言って、何か一つの大きな時代が終わりを告げたような想いで彼らの引退のニュースを受け止めた。
  次なる年はどんな1年になるのであろうか。これはいつの時代も誰にも予測出来ない。しかし、間違いなく、とてつもなく大きな変化の局面を日本国が、世界が、地球が迎えていることは間違いのないところであろう。しかし、どの様な局面を迎え、どんな年を迎えようとも、言えることは唯一つ。「今やるべきことを、今確実にやり続ける」のみだ。

2008年12月1日
医療法人カメリア 理事長 長岡 和